野川を散策しながら近藤勇の生家跡等を訪れました。
紀行文
国分寺崖線と野川を散策
6月10日(水)
こんなに近いところに「今日行く=教育」、「今日用=教養」がある。野川公園である。小金井公園と同じように、好きなときに散歩に行って芝生で寝ころんだり読書をしたり、花を摘んだりできる。
朝、靴を履きかけた途端、時ならぬ雨に急襲された。雨はすぐに上がったが、このところの天気は予断がゆるされない。いつもの集合場所では人影は少なく19名。日和見とはこのことをいうのか。次の集合場所の二枚橋に着いてみると、東町などの方がこぞって参加して合計で32名となった。
新撰組、水車、ワサビ田、どれも江戸・明治のことで、むかしの世界だ。
近藤勇は大農家に生まれだ。大きな土地持ちで、野川公園の一部も領地であったと想像する。中島飛行機が入手する前は誰のものだったのか。鉄道はなく人見街道しかないので、もちろん江戸には歩いて行ったはずだ。
水車小屋は、小グループに分かれて樹陰での解説と水車のメカニズムの見学。これまでの「水車」の想像を超えた直径4.6mもある水車が、回り続けていた。何年か前までは現役であったのだ。かつては米、小麦を一日中搗精・精製した。これを臼と杵用いて人力で行うことはたいへんだ。
ワサビ田の古民家の座敷からは木々があるので直接は見えないが、国分寺崖線の向かいの壁面に掘られた横穴墓がある。昔の人が眠っている。美しく衣装を整え、先に亡くなったひとの横に寝かされた。土中に埋葬せず、あとから亡くなった人が同じ室に埋葬された。当時のひとの死者に対する思いが伝わる。追葬という。
近藤勇、水車小屋、復元家屋とも、歩きながらの皆さんの感想が耳に入ってきていて、満足したようだ。雨後のこともあり崖の中程にある横穴墓は、希望者の参加とした。(参加32名)
担当(太田祐治 森 閑野 立川)





